生まれた時に心臓に穴が空いていて、出産後すぐに娘だけが小児のICUがある病院へ
転院し、その際はじめて病気を持っていると知りました。

医師から告げられる病名は、今までの人生で一度も耳にしたことがなく、
しかも、医療の世界での最近判明しだした病名だと聞かされ、その時から
「この先、どのような症状が娘を襲うのかは不明である」と言われていたので、
娘の誕生日から悩みというか、思考錯誤は始まっていました。なので、
年齢を重ねるごとに、違った悩みが生まれましたし、これからも娘らしい悩みが
生まれてくるので、そのときに反応してあげられる親で在りたいと思い、
様々な勉強をしました。

他の子が普通にできることは、すべてが遅かったり苦手だったりしますが、
10ヶ月で手術するまで、授乳の力がなくて毎日2時間おきに授乳させるのは体力的に辛かったです。

また、成長が遅いので体が小さく、体力がないので、
その辺は幼稚園、小学校と進むにつれて心配のタネでした。
学習面もマイペース伸び率なので、学校の先生と協力のタッグを組み、
娘に合わせて取り組みました。情緒が健常の子よりも安定していたことが
何よりの救いで、先生方も快く協力してくれて、そのときは嬉しく感じました。
今思うと、わたしが心理学等を勉強していて、その姿勢に対して先生方が
リスペクトしてくださったのがうまく協力を仰げた一因だと感じています。

人よりも成長が遅くても、常に笑顔で過ごす娘を見るのは幸せですし、
彼女のペースでの成長を感じられることも、誕生したその日から
しばらく悲嘆にくれたたわたしにとってはとても嬉しいことです。

一番辛かったのは、健康に産んであげられなかったこと…です。
それ以上の辛さはありませんでした。

苦労したことは、正直なところありません。これはきっと、マイナスから
スタートしたので、何が起きても前にすすんでいると感じられたからだと思います。
このように感じられたのは、きっと心の世界を知ったからだと確信しています。

都度、わたしにできること、できないことを分け、できないことに関しては
抱えこまずに協力をお願いしました。娘に合う常識外の家庭教師をお願いしたり、
学校の先生や教育委員会などには、「目指していること」や「困っていること」、
それについて「家庭で取り組んでいること」、
そして「この部分の協力をお願いしたい」という、
娘のためにできる役割を切り分けて伝えることをしました。

どんなに絶望していたとしても、必ず解決にすすむための道はあるよ!
そしてその道を模索する姿勢こそが、娘に対する最も崇高な母の愛の表現なんだよ!
と伝えたいです。

ママの年齢 49歳

子どもの年齢 14歳

#女の子 #成長が遅い #先天性心疾患